水精ゆかりのお寺 由来
今から550年以上前(1400年代)、銀産出の山「仙ノ山」山頂において天台宗寺院として開山しました。
銀鉱山として隆盛を迎える1523年、現在の東京「麻布山善福寺」住職次男「釈浄念」の布教により一向宗に改宗しました。
時は戦国時代後期、1570年代に当山第七世住職の孫、釈法祐が織田信長勢より一向宗の法灯を守るべく当時本山であった石山本願寺へ門徒十七名を連れて参戦しました。
その際、寺宝「伝聖徳太子御作阿弥陀如来御木造」を兜に据え「六字名号(南無阿弥陀仏)」「十字名号(帰命尽十方無碍光如来)」を旗印としました。
~銀山伝承物語「おちとら物語 兜如来」として今に伝わています~
参戦の功により、本願寺第十一代門主顕如上人より身に着けていた法衣一式(「紫水精(水晶)二輪念珠」「七條袈裟」「修多羅」)を拝領しました。
江戸時代を通じて、銀鉱夫の信仰をあつめ、現本堂の背後には多くの鉱夫、その妻、童の墓標が往時を今に伝えています
阿弥陀さまの国「極楽浄土」をあらわす七つの宝の一つに、玻璃(水精)があります。水精とは水晶のことです。
時を越え水精(水晶)ゆかりのお寺として今に法灯をおつなぎしています。
龍が舞う お経蔵
当山の御経蔵には、古来より受け継いできた一切経の一部とお釈迦様の座像が安置されています。
釈迦座像がここに安置されているのは、開山が天台宗であった証しです。
正面には龍の鏝絵(こてえ)が描かれています。
近年、瑠璃(ラピスラズリ)の龍がお供えされました。
寺宝
「伝聖徳太子御作阿弥陀如来御木造」
厨子
寺宝
「六字名号(南無阿弥陀仏)」
「十字名号(帰命尽十方無碍光如来)」
本願寺第十一代門主顕如上人向拝量
寺宝「紫水精(水晶)二輪念珠
↑御経蔵(全容)
扉上部の鏝絵↓
釈迦座像と脇侍左:阿難尊者 右:摩訶迦葉